救い

雑感

人の愛情や優しさを
当たり前と受け取って浪費をし
愛情を注ぐ人を悲しませている人が身近にいた

愛情を注いでいる人は
自分にとって
大切な人だったから

許せない、という正義感で
当初は憤ったし
口出しするのは筋違いな話だから
行き場のない怒りでいっぱいだった

時が経ち
『許せない、という正義感』は
違った形で別の方向から

正義感を打ち砕かれることがあり
この件については諦めていた

批判するものは
批判される

自己世界は鏡だ


第三者でしかない自分は
傍観者であり
そうあることにした

大切な人は
結局は自分勝手な人に振り回されて
悲しい事実や現実を知ることとなった

人の愛を「損得」や「利益」にしか思っていないから
悲しませる言動と理解出来ていない

大切な人の優しさを
享受できる自分は幸せなのだと感じた

それでも
切っては切れない間柄

利用されても
愛している

その姿を見たとき
神様の愛を感じた

特定の何かを信じているわけではないけれど
もし神様がいるのなら

万人を愛する存在が「神」と認識している

裏切られても
悲しませても
自業自得でも
犯罪者でも

人は人にしてあげられることは無く
手助け程度にならしてあげられることはあったとしても

真の救いは
本人にしか自分を救うことは出来ない

それでも
その人の幸せを願い
助けたいと思う

その姿は神様そのもので

たとえ自分が自分を許せなくとも
「神さま」は手を差し伸べたいと
思ってくれている存在がいるのかもしれない

そう考えたら
人間の尺度で
善悪を判断することは無意味で
否定からは何も生まれない

許せない人にも
許しの機会が
愛が施されることが
救いのように思われて
そして
自分が救われる思いになった

矛盾した正義感を持つ
不完全な自分で存在することを
許せるような視点に気づけたこと

色々なことを
感じさせてくれて
有り難く思った

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